
残り火が揺れる書斎の吐息
隣り合うだけだった椅子の温度
定時を過ぎた頃に届いた「折り入って相談がある」という彼からのメッセージに従い、彼女は言われるまま彼の自宅を訪ね、黒檀の書斎のソファに腰を下ろした。向かいの本棚の三段目、擦り切れた背表紙の文庫本が目に入った瞬間、彼女は目頭が熱くなるのを感じた。高校三年の冬、進路相談室で泣きじゃくる自分に「読んでおくといい」と押しつけられた一冊と、同じ表紙をしている。あのとき受け取った方は今も自分の本棚にあるのに、なぜ同じ本がここにもあるのか、彼女には分からなかった。
物音ひとつ立てないほどの静けさの中、暖炉の熾火が最後の熱を放っていた。天井まで届く窓の向こうでは、夕暮れの薄紫が街灯の黄色い光に溶けていく。教師を辞めて出版社の編集者に転じた、かつて現代文を教わった恩師と、隣の席で机を並べることになったのは、彼女にとって半ば偶然、半ば運命のようなものだった。朝一番に彼が置いてくれる無糖のブラックコーヒー、原稿に入れる赤字の角ばった癖のある字、終電間際に彼が無言で呼んでくれたタクシー。今でも咄嗟には「先生」と呼びそうになる癖が、彼女には抜けきらずにいた。挨拶を交わすだけのはずの日々は、そうした小さな積み重ねの中で、いつの間にか彼女の胸の中で形を変えていた。
先月、急な夕立に降られたビルの軒先で、彼が無言で自分の上着を彼女の肩にかけてくれた夜があった。タクシーが来るまでの数分、二人とも傘を持たないまま、雨音だけが辺りを満たしていく。あのとき交わした言葉は「風邪をひくなよ」の一言だけだったが、上着に残る煙草と紙の匂いを、彼女はしばらく洗い流せずにいた。
隣に座った彼の太ももの温もりが、スカート越しにじんわりと伝わってくる。かつて教室の一番後ろの席から、黒板に向かう彼の背中を目で追っていた自分が、今は肩が触れるほどの距離にいる。その近さに、彼女は握った手のひらに汗がにじむのを感じた。

外れていくボタンと、震える吐息
彼の手が、躊躇うように彼女の手首に重なった。皮膚の下で脈が跳ねる感触に、彼女は思わず身を固くする。
顔を上げると、彼はまっすぐにこちらを見ていた。何か言いかけて開いた唇が、一度そのまま迷うように止まる。彼女もまた、視線を逸らさなかった。
「もう、教え子として扱うのは無理そうだ」
低い声でそう囁くと、彼はブラウスのボタンに指をかけた。一つ、また一つ。糸が布地をこすれる小さな音だけが、書斎の静寂に落ちていく。
「寒くないか」
尋ねながら彼は彼女の袖を捲り上げた。冷えた指先が素肌に触れた瞬間、彼女は小さく肩を揺らしたが、逃げようとはしなかった。彼が身を屈め、耳の下から首筋へと唇を這わせながら、大きな掌で片方の乳房をやわらかく包み込んだ。
「思っていたより、ずっと柔らかい」
低く呟きながら、彼の指先が色づいた頂を弄びはじめる。摘み、転がし、時に爪を立てるように刺激を送り込まれるたび、彼女の喉から抑えきれない声が漏れそうになった。慌てて口元を覆おうとした手を、彼はやんわりと引き剥がす。
「そんなに堪えなくていい。今夜だけは赤を入れないから」
囁きとともに、彼の唇が硬く尖った先端を含んだ。吸い、舐め、時折歯を立てられる感覚に、彼女の腰がソファの上でびくりと跳ねる。下着の奥では、とうに湿った熱が滲みはじめていた。
やがて彼はソファを降り、彼女の脚の間に身を沈めると、両膝に手をかけてゆっくりと左右に開かせた。冷えた空気が内腿を撫で、彼女は小さく震えた。屈み込んだ彼の吐息が、太もものあいだをかすめる。唇が肌をなぞり、続いて熱い舌が濡れた入り口に沿って這い上がってきた。
「あ……っ」
彼女はソファの肘掛けを強く握りしめる。彼の舌は執拗で、休むことを知らない。浅い場所を焦らすように舐め上げたかと思うと、次の瞬間には奥まで深く沈み込んでくる。強すぎる快感に浮きかけた腰を、彼は両手でそっと引き戻す。彼女は身体の力を抜き、頭を背もたれに預けて喉をさらした。
「んっ……あぁ……」
漏れる声に羞恥で頬が焼けたが、押し寄せる快感がそれを上回っていく。舌先が最も敏感な粒を捉えるたび、視界の端に白い光が弾けた。
「もっと……」
自分から零れた言葉に驚く暇もなく、彼が応えるようにさらに深く舌を沈める。じゅる、と滲む音が響き、彼女の指が絨毯を強く掻いた。頭の芯まで甘く痺れるような感覚がせり上がり、膝から力が抜けていく。彼は零れ出る蜜を、最後の一滴まで丁寧に舐め取った。

額に触れる、変わらない体温
余韻に浸る彼女の頬に、彼の指がそっと触れた。顔を上げた彼の唇は、まだ淡く濡れて光っている。
「温かいな、お前は」
彼はそう言って微笑むと、ゆっくりと身を起こしてソファへ戻り、彼女の額に唇を落とした。書斎の薄闇が、隣り合う二人を静かに包み込んでいる。彼女もまた身を起こし、彼のシャツの襟元を指先で直した。教壇に立っていた頃から、彼の身なりにはいつも折り目正しさがあったのを、彼女はよく覚えている。
「結局、相談ってなんだったんですか」
彼女がそう尋ねると、彼は本棚の方へ一度視線を逃がしてから、彼女に向き直った。
「お前を、隣の席以外の場所にも呼びたかった。それだけだ」
不器用な言い方に、彼女は思わず頬を緩めた。目をやった本棚の三段目には、あの文庫本の背表紙がまだそこにあった。
「あの本、もう一冊買ったんですか」
「お前に渡した方を、返してもらう気はなかった。手元に置いておきたくて、自分の分を買い直しただけだ」
からかうような声の裏に、微かな照れが滲んでいるのが分かった。彼女はしばらく黙って本の背表紙を見つめてから、そっと口を開く。
「先生って、もう呼ばない方がいいですか」
「さあな。呼びたいように呼べばいい。ただ、隣の席に座る理由は、もう仕事だけじゃなくなった」
その答えに、彼女は本から彼へと視線を戻し、まっすぐに見つめ返した。立ち上がった足取りは、ここに来たときよりもずっと軽い。
「明日も、隣の席で待ってます」

この物語は完全なフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。
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作者より月森 潤

教師と教え子という、本来なら踏み越えてはいけない一線を持つ二人を書きたくて生まれた物語です。関係の積み重ねを「何年」という数字で語るのではなく、朝に置かれるブラックコーヒーや、原稿の赤字の癖のある字、夕立の夜に肩へかけられた上着といった、具体的な記憶の積み重ねで二人の距離を描くことにこだわりました。 特に大切にしたのは、高校時代に手渡された一冊の文庫本です。彼女の本棚には受け取った本が今もあるのに、彼の書斎にまったく同じ表紙の一冊が並んでいる。冒頭でその違和感に気づく場面と、ラストで「自分の分を買い直しただけだ」と明かされる場面を対にすることで、渡した後も手放せなかった彼の想いが、ずっと言葉にならないまま積もっていた様子を託しました。 教壇に立っていた頃の彼と、今夜の彼の重なりと違いを、彼女の目を通して丁寧に綴ったつもりです。読んでいただき、ありがとうございました。
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