
峠を越える夜の助手席に滲む濁流の香り
毎年のお盆、沙耶の実家から自宅へ戻る深夜のドライブは、大学生の妹たちが寝入ったあとに二人だけの時間へと変わる夫婦の習慣になっていた。常夜灯を消す指先の合図、庭で妹たちに濡らされた服の代わりに纏った独身時代のレオタード。峠道の路肩で交わる二人と、それに気づきながらも黙って見守る妹の優しさを描く一編です。
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毎年のお盆、沙耶の実家から自宅へ戻る深夜のドライブは、大学生の妹たちが寝入ったあとに二人だけの時間へと変わる夫婦の習慣になっていた。常夜灯を消す指先の合図、庭で妹たちに濡らされた服の代わりに纏った独身時代のレオタード。峠道の路肩で交わる二人と、それに気づきながらも黙って見守る妹の優しさを描く一編です。
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深夜二時、従業員専用の共用トイレで落ち合うふたりは、社内には明かせない恋人同士だ。部署合同の会議中、机の下から始まった指を三度叩く合図を胸に、資料の直しで終電を逃した彼女と、見回りの合鍵を持つ彼が、清掃用のシートの上で束の間の逢瀬を重ねる。次の清掃員が戻るまでという限られた時間の中で、ふたりだけの符丁が睦み合う熱をいっそう深めていく。
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地下街の惣菜と、返しそびれたままの折り畳み傘。息子の水泳教室帰りの男と、残業帰りに惣菜を買う女は、名乗らないまま隣り合ってきた商業ビルのエレベーターで、実はずっと互いを意識していた。停電で赤い非常灯だけが灯る箱に閉じ込められたその夜、恐怖から重なった手のひらが、積み重ねてきた沈黙をようやく言葉と体温に変えていく。
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病院帰りのスクラブ姿のまま、彼女が予約するのはいつも同じ、しゃぶしゃぶ店の奥の半個室。薄い布の仕切り一枚を隔てただけの空間で、彼女は迷いのない指先で彼の輪郭をなぞり始める。何度も確かめてきた形、覚えているほくろの位置。積み重ねてきた行為の一つひとつが、湯気の向こうで声を殺した情事へとなだれ込んでいく。
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窓から差し込む夕日が、アトリエの床に積もった埃を金色に染める。彼女がこの部屋の合鍵を渡しているのは、恋人であり同じ画塾出身でもある男ただひとり。互いの個展のたび作品を撮り合ってきた二人は、壁際に隠された一枚の未完成画をきっかけに、乾かない絵具の匂いの中で抑えていた熱をほどいていく。
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男は工具箱の蓋をカチャリと閉じた。管理会社の一括契約を使わず、彼女はいつも男の携帯に直接連絡をよこす。呼び出す理由はいつも配管の不調なのに、男はいつからか、修理そのものより、彼女がグラスの氷を控えめに鳴らす音を聞くために来ているような気さえしていた。蝉が鳴きしきる午後だった。…
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長期休みのたびに雪見温泉宿へ通う女教師・早苗と、宿を一人で切り盛りするボイラー番・健太。普段は時計を気にして短く終わる逢瀬が、夫の出張が延びたことで今夜だけは違う。雪解け水が滲む廊下の奥で、抑えていた声も時間も、隠さずに交わり合う夜の物語。
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窓を伝う雨音だけが、静まり返った屋敷の中に響いている。二階の角部屋、義父のリハビリのためだけに整えられたこの部屋は、天井の間接照明が施術台の白いビニールシートを淡く照らし、消毒液特有の苦い匂いが壁際に並んだアロマオイルの甘さとせめぎ合っていた。…
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潮風に晒され軋む木製デッキの下、古いヨットのキャビンは湿気を帯びた重厚な空気に満たされていた。八年前、保健室で受けた手当てが忘れられずに看護師の道を選んだ教え子と、それを見守り続けてきた養護教諭が、独り立ち祝いの航海の果てに想いを確かめ合う。
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大学の手芸サークルが部室として使う、通称「家庭科室」。彼女が入部してから一年半、運針を手ほどきしてくれた先輩と重ねてきた放課後は、去年の学園祭をきっかけに秘密の恋人同士の時間へと変わっていた。だが先輩が運営を退くのはもう来月。月例会のあとの後片付け当番だけを口実にした二人きりの時間で、指先に残る胼胝に触れながら、抑えてきた熱がほどけていく。裁ちばさみが光る机の上で交わされる、約束と快楽の行方は…
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使われなくなった中学校の黒板の隅に刻まれた「正」の字は、礼子と翔太が二人だけでこの教室を訪れた回数を示す密かな記録だ。夫を亡くした叔母を支えるうちに始まった逢瀬は、卒業から遠ざかったはずのセーラー服をもう一度纏わせるまでになっていた。来月に迫った校舎の取り壊しを前に、二人は最後の一画を書き足しに訪れる……
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